この地名の由来は諸説ありますが、千曲川と松川が合流する場所であることから「逢瀬(おうせ)」→「おふせ」→「おぶせ」となったという説が有力のようです。
写真の建物はこの小布施の中心地、「北斎館」です。その名の通り、江戸時代後期の浮世絵師である葛飾北斎(1760~1849)の絵画が展示されている美術館です。88年の生涯で90回以上も転居を繰り返したといわれる北斎ですが、初めてこの小布施に来たのが天保13年(1842年)、北斎83歳の時でした。そこから4回も訪問し、祭屋台の『龍と鳳凰』、男波・女波と称される『怒濤』の二枚の天井絵を完成させたそうです。これらの天井絵は北斎館で見ることが出来ます。
北斎館から北へ続くこの遊歩道は「栗の小径(くりのこみち)」と呼ばれています。1980年代に行われた町並み修景事業の一環としてつくられ、足元には栗の間伐材を敷きつめられています。写真中央の奥に見えるのは栗の木です。
小布施は栗の街でもあります。小布施で栗が栽培され始めたのは室町時代。 その独特の気候風土は上質な栗の栽培に適しており、食用・治水にも使える栗の木は積極的に植林が進められました。栗菓子が作られ始めるのは砂糖が普及し始めた江戸時代後期になってからで、そこから栗の街として各地に浸透していきました。そんな小布施には、「栗庵 風味堂」「竹風堂」「桜井甘精堂」「小布施堂」と老舗栗菓子店があり、通称“栗菓子四天王”と呼ばれています。
四天王の一つ、「小布施堂」さんです。小布施中心地に広い敷地を持つ、老舗中の老舗です。外観からも質素なだけにその重厚さが伝わってきます。本店から門をはさんだ隣には、桝一市村酒造場があります。実はこの桝一市村酒造場が小布施堂の元で、長年続く創始者の一族の一人が、高井鴻山になります。現在、酒造場の一部は改装されて「蔵部」という和食処になっており、その酒蔵で造られた新鮮な日本酒と、店内の大きな竈で炊いた美味しいご飯を中心としたセットメニューが提供されています。